第91回開校記念式典
卒業30周年(高校36回卒)記念事業:母校愛のリレー
平成26年4月19日(土) 母校体育館

開校記念式典
あがたの森、松本城周辺のさくらもようやく終わりに近づいた2014年4月19日、第91回開校記念式典、卒業30周年(高校36回卒)記念事業:母校愛のリレーが、母校体育館で開催されました。
西牧守校長式辞、来賓、佐藤彦雄同窓会長の祝辞をいただいたあと、36回卒・縣陵山麓会のみなさんから学校、在校生に図書費、設備整備費が贈られました。

西牧学校長

佐藤彦雄同窓会長

名取36回卒山麓会会長

寄付金贈呈


来賓の皆様

卒業30周年(高校35回卒)記念事業:母校愛のリレー


宮城県南三陸町在住の写真家、佐藤 信一氏による記念講演
「あの日の絶望から明日の希望へ」


 「母校愛のリレー」は担当卒業年次の皆さんの中から講師などが選ばれるのが通常でしたが、今年はその枠をこえ、宮城県本吉郡南三陸町で生まれ育ち、東日本大震災を体験し、以来三年間、復興に向かう現地の写真を撮り続けている写真家佐藤真一さんがお話ししてくださいました。

佐藤さんのお話とスライドはまだおだやかだった南三陸町の日常から始まりました。大きな揺れとそのあとの津波警報。それほどの危機感もなく職業がらカメラを1台だけ下げて高台の学校へ避難したあと、あの巨大な津波が押し寄せてきたのだそうです。家やクルマがものすごい勢いで流されてゆく映像にわれわれも息を飲みましたが、「ごう ごうたる水の音、家などがきしみ壊れる音、ショートして鳴りっぱなしになったクルマのクラクションが混じり合って響いている」という、音についてのお話がひじょうに生々しく感じられました。しばらくは手がつけられずに廃墟の老人ホームにシートでくるまれ安置されたままの遺体など凄惨な写真については、これも現実、目を背けないで見てほしいと佐藤さん。みなが被災者で親族の安否も不明なままという過酷な状況にありながら、その場で自分にできる事をしよう、という避難所の生活の模様。ふとなごむカットもありましたが、両親を失った子が無心に避難所の床掃除をしている写真などには心を打たれました。 (写真:被災前の南三陸町)

津波に教われた三陸町

美容師さんが床屋さんに

避難所の掲示板

自衛隊の献身的な活動

佐藤さんの震災からこれまでの映像記録は、避難所や仮設住宅の人々の暮らし、がれき処理が進む市内、自衛隊やボランティアの献身的な活動などあらゆる方面にわたっています。この地に生まれ育った人の視点でとらえた写真だからこそ心に響くのだと思いました。ふるさとはなくなってから嘆いても遅い。いまから何ができるか、何をしてはいけないのか、それを家族や学校で考えていってほしい。佐藤さんの言葉はこれからふるさとを巣立ってゆくであろう若い在校生の心にも響いたと思います。 (写真右:避難所で生まれた命)

 佐藤さんは、ご自身の仕事でもある写真というものが持つ力というものについても語っていらっしゃいました。家族も家もすべて失った人が「昔佐藤さんが撮ってくれた家族の写真がある、これがあれば生きていける」と言ってくれた。そんな力が写真にはあるのだ、と。ともかく南三陸町をはじめとする被災地を自分の目で見てほしいとおっしゃっていました。被災地から遠く離れた地ではあの未曾有の災害を我が事のようにはなかなかとらえることができませんが、そこを訪れることでふるさとの町やひとのありがたさ、失う事の切なさを共感できるのではないか、と思いました。 (写真右:自転車で通学する子、復興の工事でゆきかうトラック、視察に訪れる人のバスと鉄骨だけが残った志津川の防災センター)

写真掲載については佐藤信一様に許諾をいただいております。

渡邊実行委員長

在校生代表のお礼の言葉


 今年の愛のリレー担当の36回卒「縣陵山麓(サンロク)会」会長名取さんからは、ボランティア=「無償の愛」ということについてお話がありました。佐藤さんの招聘につながる、東日本大震災でのボランティア活動を通じての思いを、これからの若い人たちへのメッセージとして語られました。

覇権の剣
 佐藤さんのお話に感銘を受けたあと我に返り、山麓会のみなさんによる「覇権の剣」。伝統にのっとり腕を振り下ろしながらのの応援スタイルで力一杯の歌声でした。現役の応援団から返礼のエールが贈られたあと、愛のリレーのたすきとフラッグが37回卒のみなさんに引き継がれました。

 
 
 
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過去の愛のリレーレポートについては再編集の上順次掲載いたします。しばらくお待ちください。

佐藤 信一氏  プロフィール


1966年、宮城県本吉郡南三陸町生まれ。親子2代、南三陸町で写真館「佐良スタジオ」を営んでいた。2011年3月11日、東日本大震災の津波により自宅及び写真館を失うものの、「一番苦しいときの写真を残す。この先、何が起きても、みんなが乗り越えられるように」と、被災された際に唯一持って逃げたカメラで地震直後から失われた街が元通りになるまでの道のりを現在も撮り続けている。