第96回松本県ケ丘高等学校開校記念式典
平成31年4月20日(土) 母校体育館
卒業30周年(高校41回卒)記念事業・母校愛のリレー
記念講演  「闘う/支える~ オリンピックで活躍した縣陵OB・OG}
- 愛のリレー実行委員長 伊東 昌恒さんのことば
かつては情報は向こうからやってくるものだった、いまは自分で取りに行く時代だ。
現役県陵生に、熱くときには楽しげに語りかける言葉に、先輩から後輩へというこれまでの枠を超える新しさを感じました。
中山 英子さん (なかやまえいこ)41回卒  <公式ウェブサイト>
1989年松本県ケ丘高校卒 松本市出身。早稲田大学卒業後、94年信濃毎日新聞社に勤務。スポーツ記者として1998年長野オリンピックを取材。これをきっかけにスケルトン競技を開始。記者と選手の二足のわらじを履きながら日本代表選手として活動。2002年ソルトレークシティー、2006年トリノのオリンピックに2大会連続出場。2016年選手引退。現在は電通オリンピック・パラリンピック局に勤務し2020年の東京大会の準備にあたる。

好きなことに打込むことでまた別の道が開けてくる。
そのときやることを全力でやる。夢はあとからついてくる。
スケルトンで2度のオリンピックに出場した中山さん。長野オリンピック取材でスケルトンに出合ったことがきっかけで、思いもよらなかった競技者の道に進みました。サポートが充実していなかったので、資金繰り、海外コーチの招聘、海外転戦の際の運転、レースマネジメントなど自ら行ったそうです。道を切り開く楽しさの半面、大変なことも多く、苦悩しながら続けた選手生活でした。競技がおかれている環境の問題も無視できず、選手選考の経緯を巡ってスポーツ仲裁を申し立てた(後に和解)こともありました。よりよい環境にしてゆかなくてはという情熱と使命感があったからこそでしょう。

中山さんが県陵生に伝えたいこと。
その時々、悔いがないように考え抜いて決断しよう。その時にやれることを全力でやる。自分を振り返ってみてこれまで無駄だったことは一つもない。夢を無理やり持とうとせず、好きなことに集中してみるなど、そこから学ぶことで何かが見えてくる。結果は後からついてくる。困難から逃げず、マイナスの自分も受け止めていくことで、次の道が開けてくる。

スケルトンとは
スイス・サンモリッツ発祥のそり競技。鉄製のシンプルなそりで氷のコースをうつ伏せで滑り降りる(リュージュは仰向け)。最高時速は約120~140km/h。全長約2キロを1分前後で滑走。五輪正式種目。強豪国はラトビア、ドイツ、カナダ、英国など。公式レースを行えるコースは国内では長野市ボブスレーリュージュパーク「スパイラル」のみ。欧米諸国では認知度が高くテレビ放映などもある。(中山英子さん公式サイトより)

中山さんが大学時代所属した学生新聞「早稲田スポーツ」
1959年創刊の学生新聞のひとつで、学生スポーツ新聞の草分け。東京六大学野球、ラグビー、箱根駅伝などを柱に、早稲田大学運動部の試合結果などを伝える。

青木 啓成さん(あおき ひろなり)38回卒
1986年松本県ケ丘高校卒 松本市出身。信州大学医療技術短期大学部卒業後、1990年より相澤病院に理学療法士として勤務。県内におけるリハビリテーション医療の発展、スポーツリハビリ分野において長野県高野連をはじめスポーツ選手のサポートに尽力。2010年からスピードスケート全日本ジュニア選手のメディカルスタッフとしてかかわる。2018年平昌オリンピック・スピードスケートトレーナーとして活躍(※1、日本チームのメダル大量獲得に大きく貢献した。現在も全日本スケート連盟スピードスケートメディカルスタッフ、長野県理学療法士会スポーツサポート部副部長、相澤病院スポーツ障害予防治療センター、スポーツリハ部門科長、理学療法士※1参考)・小平奈緒(500金、1000銀)/高木奈那(マススタート金)/女子団体追い抜き(金)/高木美帆(1500銀、1000銅)/男子の入賞選手など多くの日本代表選手をサポート

緊張はだれでもする。とことん緊張した方がいい。やがて本番で冷静さを持てるようになる。
親、先生がいうことでなく、 自分で決める。そして準備する。

オリンピックスピードスケートのトレーナーとして平昌オリンピックでのメダル獲得の影の立役者だった青木さん。理学療法士、セラピスト、そしてヘッドコーチの3役を担うトレーナーの大きな役割が選手のメンタル面でのケアだそうです。かつてはそうしたこと は選手の自己責任で片付けられていたのでした。選手の調子が上がって来ないとき、その原因を追及し的確に対策することでメンタルがかわってくるのだそうです。高木美帆選手も8年という長い年月を積み重ねるなかでレベルアップし、やがて開花したのです。競技には緊張がつきもの。しかしそれをおそれずとことん緊張することもとても大切なのだ、と青木さんはおっしゃいます。その経験のあとに、冷静に本番を迎えることができるようになるのだ、と。
「これ面白そう。自分でもできそう!」と思って実際にやってみて、オリンピックまでいってしまう中山さんの、アスリートとしてのHOTな面、さまざまな問題に対するCOOLでジャーナリスティックな面、両面にわたる力強さ。選手をフィジカル、メンタル両面でささえ、的確な判断、対処をする青木さんの冷静な眼。ふだん目にするメディアでは伝えられなかった、臨場感のある素晴しいお話でした。

聞き手  大岩 堅一さん (おおいわけんいち・中山さんの大学時代の先輩)千葉県木更津市出身。早稲田大学卒、大阪・朝日放送アナウンサーののち、1988年長野エフエム放送開局に合わせて移籍、アナウンサー、プロデューサーを務める。2006年、フリーに。SBCラジオ、あづみ野FM、エフエム善光寺などで番組を担当。松本市里山辺在住。

 
 
 
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第96回 開校記念式典

杉村修一校長

望月雄内同窓会長

伊東昌恒 41回卒 実行委員長

記念品贈呈
愛のリレー講演