第90回開校記念式典
卒業30周年(高校35回卒)記念事業:母校愛のリレー
平成25年4月21日(土) まつもと市民芸術館
開校記念式典
4月としては異例の寒さが続く2013年4月20日、まつもと市民芸術館において第90回開校記念式典、卒業30周年(高校35回卒)記念事業:母校愛のリレーが開催されました。
西牧守校長式辞、来賓、常磐欣司同窓会事務局長の祝辞をいただいたあと、35回卒のみなさんから学校、在校生に図書費、設備整備費が贈られました。
卒業30周年記念事業 母校愛のリレー
大きなスクリーンには「縣陵2万6千人の風邪を感じているか」の文字。35回卒同窓会会長、柳沢充人さんのスピーチで愛のリレーの第二幕は始まりました。この愛のリレーは35回卒のみなさんの在学中(昭和55年)に始まった行事でした。
「当時の先輩からいただいたものを今日は、後輩へという形でお返ししたいと思っています。私たちを繋いでいるものは、青春の三年間を同じ学校で学んだというおと、数ある高校の中でこの「縣陵」を選んだという選択行為です。後輩諸君はなぜ縣陵を選んだのか、どんな夢を描くのか。ここで学び、夢を抱き、さまざまな選択をして30年を歩んできた私たちと、対話ができればいいと思っています。(縣陵新聞掲載の柳沢さんのメッセージから)
トークショー
「私たちの見た夕日・君たちと見たい夕日」
三丁目の夕日シリーズをはじめ数々の話題作ですっかり日本を代表する映画監督の一ひとりとなった山崎貴監督。彼の高校時代から、デザイン専門学校時代、CGを駆使した映画作りの現場の話など、ヤマザキワールドに引き込まれました。
子供の頃、絵を描くのが好きで、クリスマスにはサンタクロースに「画用紙百枚」をお願いしたこともあったとか。イラストレーターをめざしてデザイン専門学校に進んだものの、自分とは比べ物にならないほど絵がうまい先輩たちを目の当たりにして目標を映像=映画作りに変 更。そこへ舞い込んだ映像制作会社のバイトの求人に応募したところから現在の山崎さんがスタートします。
「未知との遭遇」や「スターウォーズ」でとりこになったSF映画を自らの手で制作したのがデビュー作「ジュブナイル」。「三丁目の夕日」は当初あまり乗り気ではなかった企画だったものの大成功を納め、監督の勲章とまで言われる「続」編も生まれ、一躍スター監督に。意欲的な作品が続きます。高校時代の仲間と組んでの仕事や、俳優さんたちとの交流、映画作りのたいへんさ、楽しさ、など、いろんな作品のメイキングを見ながらのお話はつきませんでした。
勉強はまったくせず、みごとに成績が落ちて行った縣陵時代。「縣陵で多少成績がよくたって、それが世間でどんな意味がある?オトナが望むいい子、まじめな高校生をやっていてはいけない。ハネなければ!」親、学校に反発してみて、ここまでだとこのくらいのレスポンス、ということを知っておこう、という監督のことばに、学校関係者はきっと苦笑いだったことでしょう。縣陵祭によせる思いは特別のようです。遅くまで学校に残って準備し、毎晩ぱんじゅうやでご飯を食べ、最後にキャンプファイアで盛り上がってフィナーレとなる文化祭。まるで今の仕事が文化祭そのもの、生涯文化祭だ、という監督はそれがとてもうれしそうでした。
最後に若い現役のみなさんへの言葉として「LOVE」をあげられました。高校時代のLOVEは珠玉のもの。監督自身も、若い頃の想い出を引っ張り出してきては使っているそうです。卒業30年といえば在校生の親の世代ですが、若々しい山崎監督はまるでアニキのイメージ。監督のひとことひとことが在校生の心に響いたと思います。
応援練習・覇権の剣
いまや恒例となった応援練習再現。今年の応援団長はかつてないほどの「硬派」イメージで会場の度肝を抜きます。発声練習のあとは「覇権の剣」。母校開校90周年にちなみ「基定めて九十余年」と歌われました。
最後に、来年の愛のリレー記念事業担当の高校36回卒のみなさんへたすき引き継ぎを行い、吉江実行委員長のあいさつをもってプログラムを終了しました。このあと、35回卒のみなさんはホテル・ブエナビスタに移動、懇親会で旧交を温めました。
大きなスクリーンには「縣陵2万6千人の風邪を感じているか」の文字。35回卒同窓会会長、柳沢充人さんのスピーチで愛のリレーの第二幕は始まりました。この愛のリレーは35回卒のみなさんの在学中(昭和55年)に始まった行事でした。
「当時の先輩からいただいたものを今日は、後輩へという形でお返ししたいと思っています。私たちを繋いでいるものは、青春の三年間を同じ学校で学んだというおと、数ある高校の中でこの「縣陵」を選んだという選択行為です。後輩諸君はなぜ縣陵を選んだのか、どんな夢を描くのか。ここで学び、夢を抱き、さまざまな選択をして30年を歩んできた私たちと、対話ができればいいと思っています。(縣陵新聞掲載の柳沢さんのメッセージから)
トークショー
「私たちの見た夕日・君たちと見たい夕日」
三丁目の夕日シリーズをはじめ数々の話題作ですっかり日本を代表する映画監督の一ひとりとなった山崎貴監督。彼の高校時代から、デザイン専門学校時代、CGを駆使した映画作りの現場の話など、ヤマザキワールドに引き込まれました。
子供の頃、絵を描くのが好きで、クリスマスにはサンタクロースに「画用紙百枚」をお願いしたこともあったとか。イラストレーターをめざしてデザイン専門学校に進んだものの、自分とは比べ物にならないほど絵がうまい先輩たちを目の当たりにして目標を映像=映画作りに変 更。そこへ舞い込んだ映像制作会社のバイトの求人に応募したところから現在の山崎さんがスタートします。
「未知との遭遇」や「スターウォーズ」でとりこになったSF映画を自らの手で制作したのがデビュー作「ジュブナイル」。「三丁目の夕日」は当初あまり乗り気ではなかった企画だったものの大成功を納め、監督の勲章とまで言われる「続」編も生まれ、一躍スター監督に。意欲的な作品が続きます。高校時代の仲間と組んでの仕事や、俳優さんたちとの交流、映画作りのたいへんさ、楽しさ、など、いろんな作品のメイキングを見ながらのお話はつきませんでした。
勉強はまったくせず、みごとに成績が落ちて行った縣陵時代。「縣陵で多少成績がよくたって、それが世間でどんな意味がある?オトナが望むいい子、まじめな高校生をやっていてはいけない。ハネなければ!」親、学校に反発してみて、ここまでだとこのくらいのレスポンス、ということを知っておこう、という監督のことばに、学校関係者はきっと苦笑いだったことでしょう。縣陵祭によせる思いは特別のようです。遅くまで学校に残って準備し、毎晩ぱんじゅうやでご飯を食べ、最後にキャンプファイアで盛り上がってフィナーレとなる文化祭。まるで今の仕事が文化祭そのもの、生涯文化祭だ、という監督はそれがとてもうれしそうでした。
最後に若い現役のみなさんへの言葉として「LOVE」をあげられました。高校時代のLOVEは珠玉のもの。監督自身も、若い頃の想い出を引っ張り出してきては使っているそうです。卒業30年といえば在校生の親の世代ですが、若々しい山崎監督はまるでアニキのイメージ。監督のひとことひとことが在校生の心に響いたと思います。
応援練習・覇権の剣
いまや恒例となった応援練習再現。今年の応援団長はかつてないほどの「硬派」イメージで会場の度肝を抜きます。発声練習のあとは「覇権の剣」。母校開校90周年にちなみ「基定めて九十余年」と歌われました。
最後に、来年の愛のリレー記念事業担当の高校36回卒のみなさんへたすき引き継ぎを行い、吉江実行委員長のあいさつをもってプログラムを終了しました。このあと、35回卒のみなさんはホテル・ブエナビスタに移動、懇親会で旧交を温めました。
過去の愛のリレーレポートについては再編集の上順次掲載いたします。しばらくお待ちください。
山崎 貴さん プロフィール
1964年6月12日生まれ、第35回卒業生。阿佐ヶ谷美術専門学校を経て、映像制作会社、白組入社。伊丹十三監督作品でのデジタル合成、イベント映像制作などに参加し、高い映像技術を身につける。2000年、「ジュブナイルjuvenile」で監督デビュー。イタリアのジフォーニ映画祭・子供映画部門最優秀賞などを受賞。
監督第二作「リターナーReturner」(02)は、第七回釜山国際映画祭OPEN CHINEMA部門に正式出品され、香港、シンガポール、マレーシアに続き北米でも公開される。2004年には「鬼武者3 オープニングムービー」で世界で四つのCGコンペティションで入賞。
2005年発表の「ALWAYS3丁目の夕日」は、日本アカデミー賞をほぼ総なめにする国民的大ヒットとなり、自身も最優秀監督賞を受賞。その後も秀作を次々と送り出している。
主な作品:
「Always 続・三丁目の夕日」(2007)
「BALLAD 名もなき恋のうた」(2009)
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(2010)
「friends もののけ島のナキ」(2011)
「Always 三丁目の夕日’64」(2011)
1964年6月12日生まれ、第35回卒業生。阿佐ヶ谷美術専門学校を経て、映像制作会社、白組入社。伊丹十三監督作品でのデジタル合成、イベント映像制作などに参加し、高い映像技術を身につける。2000年、「ジュブナイルjuvenile」で監督デビュー。イタリアのジフォーニ映画祭・子供映画部門最優秀賞などを受賞。
監督第二作「リターナーReturner」(02)は、第七回釜山国際映画祭OPEN CHINEMA部門に正式出品され、香港、シンガポール、マレーシアに続き北米でも公開される。2004年には「鬼武者3 オープニングムービー」で世界で四つのCGコンペティションで入賞。
2005年発表の「ALWAYS3丁目の夕日」は、日本アカデミー賞をほぼ総なめにする国民的大ヒットとなり、自身も最優秀監督賞を受賞。その後も秀作を次々と送り出している。
主な作品:
「Always 続・三丁目の夕日」(2007)
「BALLAD 名もなき恋のうた」(2009)
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(2010)
「friends もののけ島のナキ」(2011)
「Always 三丁目の夕日’64」(2011)